秩父移住前に人生を振り返る後半・・とその前に!!
やぁ~~~~らぁ~~~~れ~~~たぁ!!
おつう・・・・・・・・どうすんのこれ(泣)
何が気に食わなかったんだい?雷様かい?
とりあえず、明日保険会社に連絡しなくちゃ。
なんとかなるといいな・・・・・。
おつうの破壊力にはかあちゃんの過去なんて小さいのぉ~(泣)
「ふん!」byおつう
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※以下、他人の過去に興味のない方はスルーの方向で。我ながら重いし・・・。
神奈川県横浜市中区→千葉県成田市
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18歳高校の卒業式の翌日、かあちゃんは
東京練馬区中村橋にひとりで暮し始めた。
何かやりたいことがあったわけでもなかった。
とにかく家を出たかったんだ。
四畳半にキッチンとトイレと押入れがあるだけの一軒家(笑)
大家さんの家の離れだったのだろう。
アルバイトは転々としていた。
コンビニ・ビルの清掃・電話での塾のセールス・ホテルのベッドメイキング・百貨店の店内アナウンス・治験・声優アナウンサー研究所の事務員←ここは
「すでに声優として活躍している人たちが更に高みを目指す場所」だった。
だもんだから、事務員でバイトに入ったはずが朗読ライブの企画やらライブハウスの運営やら、照明やら音響やら音響編集やら最後には声優として足りない分をおぎなったり・・・(^^;;;
いやぁ~もう演出家さんも名だたる方ばかり、このときの声優さんたちは現在もバリバリ一線で活躍してらっしゃる。テレビをつければ声を聞かない日はないくらい。
そんな中でかあちゃんだけが全くの素人。
でも・・・・若かったから調子こいちゃった(苦笑)
20歳!その時の主要メンバーとともに東京杉並区荻窪に司会・ナレーターのプロダクションを立ち上げてしまった。
もうね。ここからがいくつのときになにをしたかとかがごちゃごちゃになるほどの怒涛の人生がスタート。
気が付けばメンバーは一人抜け二人抜け、途中で代表者に夜逃げされ(笑)
かあちゃんは某声優アイドル?プロダクションに所属しながら
裏では企画制作会社を経営しているというめちゃくちゃな状況だった。
あっ、なんか途中で引っ越したな~?練馬区江古田in
でっ、また東京杉並区荻窪に戻って・・・・。
東京杉並区阿佐谷で×8回引っ越し
声優・音響監督・イベントプロデューサー・男性ヴォーカルユニットプロデュース・携帯コンテンツ・構成作家・ネットTV・DVD制作・レコーディングスタジオ運営・・・・・キリがないくらいをひとりで同時進行していた・・・何足の草鞋だったんだか・・・。
母が他界したときにも最期を看取るより仕事をとった。
でもね・・・・基本が経営能力もない。バックボーンもない人間が、
自己の感覚だけで一人でこなし続けるのは限界がある。
自分のやっていることが虚しく、カラカラ回りし始めたのは某IT企業の事件に巻き込まれたあとのダメ押しの震災。
なんかね~気が付けばまわりに誰も残ってないし、なにもかもが空回りで、
なにもかも終わりにしたくなった。まぁ、他人を拒絶してきた報いですね!
Wikipediaさんにもいつのまにかのっかってた。
巨大掲示板ではかあちゃんのきょうのサンダル何色?まで公開された。
ブログだのは仕事で何本かけもちして更新してきたかわからない。
電話に追われる。オンエアーに追われる。納期に追われる。
入院ひとつできない。
人を蹴落とすことも時には平然としてきた。誹謗中傷。
お金とステータスにこだわったらそのままその世界で生きていけばいい・・・・。
心がね・・・壊れたんだと思う。
「きょう死ねなかったな。あしたは死ねるかな・・・・」
でも、まだ何かにしがみついていた頃があって、
そんな闇から脱出するまでにずいぶんと時間かかったけれど、
すべてを終わりにさせて過去から引退した!
お金は大切。
でも、むさしとおつうとかあちゃんが暮らしていけるだけでいい。
もともとは何もない四畳半の部屋で誰にも頼らず、
何をしたらいいかも分からなかった18歳の頃。
それでもわくわくしていた毎日。
かあちゃんは「夢」や「目標」を持った事が無い。
ただただ、自分の感だけで進んで生きてきた。
何におびえる事も無い。だって何もない。からっぽな自分なんだから
怯えるのはむさしとおつうを苦しめてしまうことだけだ。
この子達がかあちゃんと暮せて楽しかったと天に送ることができればそれでいい。
「よしっ!1から始めよう!けして0からじゃないもん」
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神奈川県横浜市中区→千葉県成田市→東京練馬区中村橋→杉並区荻窪→練馬区江古田→
杉並区荻窪→杉並区阿佐谷×8回
さあ、最後は秩父横瀬町!・・・・か?